牛乳は温かいの先へ

神奈川県横須賀市・関口牧場

三浦半島は東京都や横浜市等の大消費地に近いというだけでなく、全国の人口のおよそ3分の1が居住する首都圏の中に位置しながら農業、漁業の生産地として、湘南や鎌倉と共に多くの観光客が訪れます。
その三浦半島にある人口43万人の中核都市「横須賀市」で酪農を経営しているのは当牧場だけになりました。

昭和30年に祖父が買ってきたホルスタイン1頭から始まったこの牧場ですが、農家としては300年以上続いていても牛に関しての知識はまったく無く全てが父の独学だったので、昭和59年に大学校を卒業し就濃した時には家畜保健衛生所の職員に「神奈川県一汚い牧場だ。」と言われるほど設備の整っていない、とりあえず牛と牛舎が有るだけの牧場でした。

昭和63年結婚を契機に経営を全て任されたので、一人で搾乳が出来るように設備投資をしました。
一人分を二人で行えば休む時間も増えるし、どちらかが出掛けても一人で賄う事が出来るのでヘルパーの手を借りなくても済むからです。
そのような考え方をするようになったのは、両親が休む暇もなくフルに働いているのをみてきたせいも有りますが、肥育農家の人に「我々は同じ牛でも搾乳が無い分、ヘルパーという専門職じゃなくても留守を頼む事が出来るし、時間的に余裕を作って他のところに勉強に行く事も出来る。でも酪農家はヘルパーに頼らないと外へ出れないから、ヘルパーの居ないこの地域で酪農をするなら既存の考え方をしていると牛以外は何も出来ない一日になるよ」と言われたからでも有ります。

「人間、死ぬまで勉強。そういう心構えでいかないと一人で経営していくのは簡単ではない。」
その言葉を実践しながら先を進む人達に刺激を受けて、人と違った経営をする事に決めました。
妻はサラリーマンの家庭で育ち、動物が嫌いなのですが、一人での搾乳は元より牛の搬入出に至るまで牧場の仕事を頑張ってくれたので、治療で獣医師を呼ぶ以外は夫婦で仕事を補う事ができ、平成6年には家畜人工授精師、家畜商免許を取得し、平成7年には日本獣医師大学に通い受精卵移植の業務を追加する事が出来ました。

平成9年、自動給餌機の導入と共に牛舎の壁を無くし道路からでも牛が見えるようになると搾乳時間に見学者が多くなったので、平成10年にスタンプラリーに参加しました。
スタンプラリー終了後そのまま平成11年に地域交流牧場に参加し酪農教育ファームも本格的に始動させました。
酪農体験は地域交流牧場に入る前から行っていましたが、酪農教育ファームとして始めると一般の人との牛に対しての認識の違い、外国の事例はあってもそれをどう取り入れていくか、観光牧場の様な出来て当たり前のイベント的な要素との区別、行政の「牛に負担がかかって乳質が悪くなる、そんな事をやる前に経営を見直した方がいい」等の無理解の中、様々な問題を抱えながら手探りだった酪農教育ファームも中酪の人達と頑張りながら形にしていく事が出来ました。
ソフトクリームもこれに参加しなければ需要がなかったでしょう。

「食の安心・安全」が問われる昨今、草ならば何を食べても乳が出るという誤った認識に始まりイメージで物を食べるという習慣が付いてしまった人達に酪農教育ファームがどれだけ浸透するのかは解りませんが、あれだけの年月を過ごして子供が憶えているのは少しの事なのにその中に牧場に来たアイス食べた等、記憶に残っているのは凄い事ですから、乳を搾って温かいだけではなく、最後は「肉」として食べるという事も常識として受け止めて大事に食べてくれるようになると信じて、少しずつ頑張っていこうと思います。