酪農に生きて

鹿児島県日置市・源光農場(鳩野牧場)

薩摩半島の西岸、東シナ海を見下ろす高台で、乳牛四十頭、牧草地六ヘクタール、田畑50アールを経営しており、家族は私共夫婦と息子夫婦、他娘二人は嫁ぎ、孫が五歳を筆頭に五人おります。
十年程前から、酪農教育ファームに認定されました。
体験農業にも力を注いでおり、回りには、ミニ動物園といった感じの山羊、鵞鳥、くじゃく、ポニー、犬、にわとりなどの小動物を飼っております。
また、庭木を利用し、ハンモックをいくつか吊り下げたり、ドーム型の木の枝を生かした畳十畳程のツリーハウスを作ったりしています。



近くオープンの運びとなる研修室兼実習室を作り、楽しく夢のある牧場へと工夫展開中であります。今でこそ、落ち着いた感じに見えてきましたが、その間には、いろいろな山坂を辿ってきました。

最初の頃、大変な酪農家だけには、嫁ぎたくないという先入観を持っていた私に、そのわけを聞いた彼は、「鹿児島県は台風の常襲地である酪農は、安定し将来性もある」と語ってくれまして、私は共感し、迷わず嫁いで、はや37年になろうとしています。
夫は、酪農を始めるに当り、反対の両親を押し切って、五十万円借り、二頭の乳牛から始めたのです。
密集地で公害も叫ばれ、今の高台へと移り、友と二人で電気を引き、井戸を掘り、牛舎を建てて、やり直しました。
その頃十二頭だった牛は、結婚した頃には、十八頭になっていました。
牛舎の片隅には、茶台とヤカンと茶碗が二、三個あり、ベッドがあり土間があっただけでした。
後、夫は、おろしを作り、台所と風呂場を作ってくれ、子供が生まれるとプレハブ住宅を作りました。
十年間、そんなプレハブ住まいが続きました。その間、我が家にも大変なこともありました。
牛の相次ぐ病気や死、長女の死産、夫の二ヶ月間の入院、寝たきりの父の面倒、中でも夫の入院生活にはどっとしわ寄せが来ました。
稲の取り入れの最中でもあり、今、私がここでくじけたら、牛や一家はどうなる。私は、必死で頑張りました。
近所や町内外の仲間の人たちは温かい援助の手をさしのべてくださいました。
そうしていくうちに父親も寄る年波には勝てず、だんだん弱まり帰らぬ人になりました。
無我夢中の日々でした。それから後、母親の介護が十年続きました。



いろいろな人生の苦労を味わいましたが、この陰には私の実家の父の言葉の励みがありました。
嫁ぐ前に、いつも言い聞かせていた言葉です。
それは、両親を大切にせよ。ありのままを感謝して働け!何でも修行と思え、という言葉でした。
今でも忘れず、私の力となっています。
子供達も親のうしろ姿を見て育ってくれました。
息子も農大卒業後、米国へ語学や酪農の研修に二年間留学を終え、後継者となってくれて、親としてこんなに嬉しいことはありません。

私はいろいろなチャンスを与えられたら出来るだけ挑戦してみるという事をしてきたように思えます。
その一つに、「カライモ交流」という、留学生をホームステイする交流が二週間の日程であり、ずっと、受け入れてきました。
今では、口伝いもあり、国内外問わず百名位が三十年近い間にホームステイをしてきました。楽しい思い出がいっぱいあります。
世界中に友達が多くでき、帰国した後も交流が続いて、とても嬉しいことです。
こうした色々な事があり、時を重ねてまいりましたが、地域でも色々な活動をさせていただき、とても楽しく生きがいを感じています。
それに酪農教育ファームをさせていただき、こんなすばらしく楽しいことはないです。
子供たちやお客様に酪農のこと、牛や牛乳に関する事など皆様に理解してもらい、牛乳消費拡大に少しでもつなげていけたらと思うこの頃です。

毎日牛乳が飲めて、元気でいられる自分に、牛に感謝です。最高に素晴らしい酪農人生で、これからも、もっともっと盛り上げて安心安全な食と、命の大切さ、健康の喜びを皆で分かち合いたいと思っています。