十年目の追憶

鹿児島県鹿児島市・きいれ牧場

「おはようございます。すみません」
裏庭で洗濯をしていると若い女性の声が聞こえました。
「おはようございます。お久しぶりです」
朝の光の中にさわやかな笑顔が眩しい。
つられて私も笑顔で答えました。

「おはようございます。ん?ごめんなさい。どなただったかしら?」
頭の中で記憶のページをめくりながら笑顔をつくるがなかなか思い出せません。

「以前、ガールスカウト鹿児島13団でお世話になったことのある阿多です。近くまで来たので寄らせていただきました」

一瞬、私の中で時が止まり、記憶のページがスピードあげました。
「えー、ガールスカウト鹿児島13団の阿多さん」

「ガールスカウト鹿児島13団」の子供達は、わたしにとってもきいれ牧場にとっても決して忘れる事の無い「記憶の宝」を残してくれた子供達です。

『きいれ牧場』のある喜入町は鹿児島市の南端にあり、南北に十六キロ海岸線より四キロしかない細長い中山間地域です。
しかし、鹿児島市との合併後宅地化が進みベットタウンとして変貌しつつあります。

はじめ、きいれ牧場は教育を目的に牧場体験を始めたのではありません。
正面に桜島があり、眼下に錦江湾が広がる景観はきいれ牧場の自慢のひとつです。
また、周囲には、早咲きの山桜や蛍の森・めだかの池・川の公園と自然環境に恵まれた地域です。
この環境と牛乳を活かしたグリーンツーリズムをやりたいと思い、1998年4月に「農業・農村宿泊体験館・ミルク工房」をオープンさせたのが始まりでした。
体験の中心は牛の世話・乳搾り・牧場周辺の散策で宿泊体験が多いでした。

その後、フランスとドイツの研修で「教育ファーム」の存在を知り、体験学習のできる牧場として、近くの保育園や小学校にお散歩コースやどんぐり拾い、スケッチ大会等に開放し、地域の子供達との交流を深めていきました。
子供達は手にした草を恐る恐る牛に運んでいましたが、慣れてくるとすっかり仲良くなり、ブラシをかけたり牛の背中にまたがったり、いつしか牧場は子供達の笑顔と歓声に包まれました。
年々訪れる学校も増え、各校からの要望に応えるため、牧場体験に『命・食』にこだわったプログラムを加えました。『きいれ牧場体験学習』として新しい体験メニューを増やしました。  そんなとき、初めてミルククラブの取材を受けました。このときの取材にいらした『伍代さん』に出会い「教育的要素」があると誘われて1998年7月東京での地域交流牧場全国連絡会の設立に参加しました。
その後、「牧場は学びの場だ」というパネルをつくることになり、其の時、体験にきていた「ガールスカウト鹿児島13団」がモデルになってくれたのです。

当時、わたしは、体験にも取材にも不慣れでした。なかなか、時間通りに進まない取材に、年下のメンバーの面倒を見ながら私を助けてくれたのが、この『阿多さん』でした。
当時はまだ中学生だったはずです。
時間と会話を重ねると少しずつ記憶が鮮明になってきました。それにしても目の前にいる女性が記憶の中の女の子とつながりません。
それもそのはず、当時は15歳だった阿多さんも今ではすっかり25歳の素敵な女性に成長していました。

「まあ、すっかりレディになられて、ぜんぜんわからなかった」 「今度、青年海外協力隊のメンバーとしてアフリカに行くことになって、指宿の親戚に挨拶に行く途中で、牧場の看板を見つけました。
あの時、鎮守さんの『人間は沢山の命を頂いて今日を生きています。失われた命の分も合わせて自分の命を大切にしてください。そして周りの人の命も大切にしてください。夢をかなえることのできない動物達の分も夢を持って生きてください。』といわれた言葉を思い出しました。
突然だったのですがご挨拶がしたくてお邪魔させていただきました」

十年の歳月の中で「阿多さん」が大きく成長している事がひと目でわかりました。
当時、我が家の子供達も阿多さんと同年代の中学生と小学生でしたが、今では、それぞれが牧場内に仕事場を持っています。
長男貞嘉は、昨年新しい牛舎を建てて「新生きいれ牧場」の経営者となりました。
成牛四十頭と牧草の管理に追われる毎日ですが牧場周辺の土地を購入して、いつか放牧場を造りたいと張り切っています。
栄養士の資格を採った長女怜実は乳製品加工と販売を担当し、『きいれ牧場・みるく販売所』の加工と販売の責任者として、イベントでの販売と宅配を一手に引き受けています。

十年前に体験を始めたときは、子供達が後継者として帰ってくる事など思ってもいませんでした。
しかし、それぞれが牧場で夢を描き、叶えようとがんばっています。
特に加工に取り組んでいる長女が「きいれ牧場」ならではの製品を作りたいと日々、加工所で努力する姿は家族全員の励みです。

あと何年かかるかわかりませんが、いつの日か息子の搾った牛乳と娘の造った製品と私の料理が出せるレストランをやれたらいいなと思っています。
思いがけない再会が『きいれ牧場』の十年を思いかえす追憶の時間をもたらしてくれました。