祖父のおしえ

埼玉県秩父郡・吉田牧場

交流牧場全国連絡会が10周年という節目を迎えた平成20年、私の祖父は97年という長い人生にピリオドを打ちました。
祖父は、女性ばかり6人家族の吉田家に婿養子として入り、70年以上も農業に取り組んできました。祖父が婿入りした当時の吉田家は、貧農で田畑がほとんどありませんでした。
そんな状態だったので、祖父の目標は、後継者である私の父が農業で生きていくだけの土地をもつことだったようです。
そのために、養蚕や葉タバコの栽培、野菜の販売から酪農へと、現金収入を得るための努力を惜しまず、毎日休まずに働いてきました。
我が家の酪農経営の特徴は「四世代同居の家族経営」でした。
祖父が亡くなり、三世代になってしまいましたが、祖父は私たちにたくさんの大切ものを残してくれました。

祖父が最初に乳牛の導入を試みたのは昭和21年の事でした。
当時は大変高価であった乳牛を購入し、酪農を始めたいと考えたのには、理由がありました。高い現金収入が得られることは大きな魅力ではあったと思います。
しかしながら、祖父は徴兵検査も不合格になるほど体が弱く、「牛乳を毎日飲んで、健康で丈夫な体になりたい」という強い思いから、酪農経営が始まりました。そんな祖父は最後の食事を摂った日まで、毎日欠かさず牛乳を飲んでいました。

祖父の健康の秘訣は、“牛乳”と“仕事”だったように思います。
仕事が好きで牛舎や畑に毎日足を運び、杖をついて畑まで行っては、帰りに杖を忘れて帰ってくる、ということもしばしばありました。健康を保つために、農作業が有効であることを、祖父は実証してくれました。

祖父はもう一つ私達に大切なものを遺し、教えてくれました。それは“記録”する事の大切さです。
祖父が亡くなってから、寝室の整理をしていたら、タンスの中からたくさんの手帳が出てきました。それは祖父の日誌のようで、毎日の出来事、仕事の内容などが細かく記されていました。
子牛が生まれたこと、獣医さんが言った言葉、牛のエサをどこからいくらで買ったか、種まきをしたことなどが、簡潔な文章で記されていました。
家族には日記をつけている姿を見せなかったので、その日記の存在はだれも知りませんでした。
人間の記憶は曖昧ではあり、それを記録することが、毎日の仕事の反省になり、翌日の作業の段取りや計画につながることを教えられたような気がしました。

最後に祖父は、家族というつながりの中で、仕事をしていく事の大切さを教えてくれました。
大切な事を決める時には必ず家族会議をし、みんなの意見に耳を傾け、家族みんなが笑顔で暮らせるよう相手の気持ちになって考えることを実践していました。
農業はたった一人で結果を残すことは難しいかもしれません。しかし、家族が協力することで可能になることがたくさんあります。
たとえその人の一生だけではかなわぬ夢や希望も、次の世代に思いを託すことができるのが農業のよさだという事も、祖父の人生の終わりにしみじみと感じました。

交流牧場全国連絡会も15年目を迎えます。
この会は、日本全国の同様の夢や希望を持った牧場が、酪友として助け合っていける団体だと思います。
経営の形態や条件、環境などは様々ですが、「人が好き、牛が好き」な仲間たちが家族のように集まり、協力していけるこの会が、末永く発展していく事を願っています。